第二章 愛の理論 2親子の愛

赤ん坊は生まれた時、好ましいもの(温もり・食べ物)を、好ましくないものの区別しかできない。この状態をナルシシズムの状況という。

それが徐々に、母と母乳などを区別できるようになり、泣けば母が抱いてくれるなどの経験から「私は愛されている」という経験となる。

母から愛されるのは、母の子供だから、無力だから、可愛い良い子だから、私を必要としているからだ、つまり、「私は私だから愛される」ということになる。母親に愛される経験は受動的で無条件だ。

ただし、神の恵みのようなものだので、母の愛がない場合は自分で作り出すことはできない。

10歳くらいに達するまで、子供にとって大事なのは「愛されること」だ。

その後の発達で、子供は自分から愛を生み出すことができるようになる。絵を書いて贈ったり。

そうして愛が成熟するには長い時間を要する。

思春期になると、他人の欲求も自分の欲求と同じくらい重要になる、もらうより与える方が、愛されるより愛する方が、より満足のいく、より喜ばしいことになる。

幼稚な愛は「愛されているから愛する」という

未熟な愛は「あなたか必要だから、あなたを愛する」という

成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」という

理想的なのは

母の愛は、子供の成長を妨げたり、子供の無力さを助長したりせず、子供の生命力を信じなければならない。子供が自分から離れていくことを願わなくてはならない。

父の愛は、忍耐強く寛大でなければならない。成長する子供に、少しずつ自分の能力を自覚させ、やがては子供がその子自身の権威となり、父親の権威を必要としなくなるように仕向けなければならない。

やがて子供は成熟し、自分自身が自分の母であり父であるような状態に達する。

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