自分を大切にする選択はどちらでしょうか

①毎日2000字を書くという目標を立てた私は、悪事を行わずにこのブログを書き、相棒と散歩して納豆ご飯を食べて寝る。

②悪事を行うために、この目標を放棄して一時的な満足感を得る。そして夜中に虚しい気持ちで家に帰り、寝不足になる。

③虚しくならない程度に悪事を半分程行い、2000字書くことは達成する。

→③を提案したところ、悪事を一緒に行う仲間が③でも良いと言ってくれたので、③になりそう。

③にしましたが、明日の話やらなんやら

完全自殺マニュアルを読んでいたら、眠くなってきて、

抗うつ剤やら睡眠薬やら飲んでいたら、さらに眠くなってきてしまった。

結局目標は達成できずに寝ることになりそう。

とりあえず、

完全自殺マニュアルを、友人と一緒に電話をしながら、声にだして読み上げたのだが、

首吊りが気持ちいいということが驚きだったのと、未遂率が極端に少ないということもびっくりだった。

あまりにも細い枝でない限り、結構成功してしまうらしい。

そして厭世観(えんせいかん)という言葉も、初めて知った。

厭世観とは、この世の中では幸福や満足を得られず、積極的な価値は認めがたいとする人生観のこと。

対義語が楽天観だった。

私は、厭世主義者なのだろうか。幸福は度々感じるけど、満足は得られていないような気がする。

この世の中は、苦しいことが殆どだと思っている。

毎日、同じことを繰り返していると、消えてしまいたいと思うこともあるし、

レールから一度外れてしまうのが怖くて、なんとか食らいつこうとして、

苦しい人生になっている。

レールに乗っていることが幸せなようで、窮屈だ。

レールに乗ること=自分の送りたい人生

ではないから。

じゃあ、自分の送りたい人生って何なのか聞かれると、

分からない。

子供の頃から、他人の目ばかり気にして、

「こうあるべき」に縛られてきたから。

客観的に見たらこっちのが優れているとか、

上だとか、下だとか。こんな考え方をしても

人は寄ってこないし、

つまらないし、何より人を見下し、

人を許せなくなり、自分の周りから人がいなくなる。

やりたいことがあるのなら、やりたいことをやって

遠まわりするくらいがちょうどいい。と、大切なひとに言ってあげられる大人に私はなりたい。

もう成人してからしばらく経つけど

いろいろな人の、いろいろな価値観を受け入れて、

そんな考え方もあるよねって、いえたらいいな。

人にも自分にも。

自分のやりたいことを声にできるようになるといいな。

その為には、

私は母と距離を取り続けなければならない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました