マルクス「人間を人間とみなし、世界に対する人間の関係を人間的な関係をみなせば、愛は愛としか、信頼は信頼としか交換できない。その他も同様だ。芸術を楽しみたければ、芸術について学んだ人間でなければならない。人々に影響を及ぼしたいと思うなら、実際に他の人びとを本当に刺激し、影響を与えられるような人間でなければならない。人間や自然に対する君の関わり方は全て、自分の意志の対象にとってふさわしい、君の現実の、個人としての生の明確な表出でなければならない。もし人を愛しても、その人の心に愛が生まれなかったとしたら、つまり自分の愛が愛を生まないようなものだったら、また、愛する者としての生の表出によっても、愛される人間になれなかったとしたら、その愛は無力であり不幸である。」
愛するためには、人格が生産的な段階に達していなければならない。
生産的な段階というのは、依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとか、何でもためこもうという欲求をすでに克服し、自分の中にある人間的な力を信じ、目標達成のために自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。
これがないと、愛する勇気もない。
愛の能動的な性質①与える②配慮③責任④尊重⑤知
②愛するものの生命と成長を積極的に気にかけること。積極的な配慮のないところに愛はない。愛の本質は何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。
③責任は、自発的な行為。責任とは、他の人が何かを求めてきたときに、応答すること。「責任がある」ということは、他人の要求に応じられる、応じる用意があるという意味。大人同士の愛の場合は、相手の精神的な求めに応じることが責任。
④尊重がないと、責任は用意に支配や所有へと堕落してしまう。尊重とは、人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと。尊重とは、その人がその人らしく成長発展していくよう気づかうこと。自分が自立していなければ、人を尊重することはできない。自由であって初めて人を尊重できる。
⑤人を尊重するためには、その人のことを知る必要がある。配慮も責任も当てずっぽうに終わってしまう。知は気遣いが動機でなければ、虚しい。自分自身に対する関心を超越して、相手の立場に立ってその人を見ることができたときに初めて、その人を知ることができる。
人間の欲求「人間の秘密を知りたい。」というものがある。
そのために愛が方法としてある。愛の行為とは、結合体験への思い切って飛び込むこと。そのためには、思考によって知る、つまり心理学的に知ることが必要。客観的に知る必要がある。客観的に知ったときに初めて、愛の行為を通じてその人の究極の本質を知ることができる。
成熟した人間とは、自分の力を生産的に発達させる人、自分でそのために働いたもの以外は欲しがらない人、全知全能というナルシシズム的な夢を捨てた人、純粋に生産的な活動からのみ得られる内的な力に裏打ちされた謙虚さを身につけた人のこと。
ここまで、語られた、人間の孤立を克服する方法としての愛、合一願望の実現としての愛とは別に、
生物学的な欲求として男と女という2つの極の合一願望がある。性的に惹かれあるということだけではなく、性格的にも極。
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