自己愛の実現方法(フロムの観点)
フロムがいう「自己愛を実現すること」は、単なる「自分を甘やかす」ことではない。
それは自分の生の可能性を受け入れ、責任をもって育てること。
具体的には:
- 自分の人生を肯定する
→ 「私はこう生きたい」と思う選択や欲求を、他人の価値観ではなく、自分の基準で認めること。
例:世間は“安定した仕事”を良しとするかもしれない。でも、自分は「心理学を学んで、自分や人の心に向き合うことが大切」と感じるなら、それを“自分の人生として肯定する”。 - 自分の自由を肯定する
→ 「自分には選ぶ力がある」と信じること。
例:「私は考えることが好きだから、考える時間を持つ自由を許していい」と思う。誰かに認められなくても、その自由を否定しない。 - 自己を育てる努力を楽しむ
→ 健康、知識、感性、人間関係。どれも“育てる”対象。
例:心理学の本を読む、日記に考えを書き出す、自然に触れて感覚を養う。これらは「自分という存在を世話している」ことになる。
わかりやすいイメージ
フロムは自己愛を「母親が子どもを愛するように、自分を愛すること」とたとえる。
母親が子どもを
- 守り(安全を与え)
- 育て(成長を助け)
- 信じ(存在価値を認める)
ように、自分自身に対しても同じことをしてあげる。
つまり「自己愛=自分を守り、育て、信じること」。
私は、母に存在価値を認めてもらった経験があまりない。だから、母が子を信じるようにと言われても、ピンとこない。自分を信じるってどういうことなんだろう。
1. 「自分を信じる」ってどういうこと?
フロム的にいうと、自分を信じるとは「私は生きるに値する存在である」という態度。
これは“根拠があって信じる”のではなく、むしろ「根拠がなくても信じる」決断に近い。
赤ちゃんは「役に立たなくても」存在していい。
同じように、大人になった私たちも「役に立つから」ではなく、「ただ生きているから」存在価値がある。
2. 「存在価値を認める」とは?
存在価値とは「○○できるから価値がある」ではなく、「○○でなくても価値がある」ということ。
- 病気で働けないときでも
- 誰かに認めてもらえないときでも
- 何も生産しない日でも
「それでも私は生きていてよい」という承認です。
3. 母からもらえなかったものをどう補うか?
もし母からその感覚を与えてもらえなかった場合、大人になってからは 自分が“自分の母親役”をする ことが鍵になる。
小さな実践としては:
- 朝起きたときに「今日も生きていてくれてありがとう」と自分に声をかける。
- 失敗したときに「それでも大丈夫、あなたの価値は変わらないよ」と自分に言ってあげる。
- 誰かに認められなくても「私は今日、自分らしく考えた・選んだ」と自分で承認する。
少しずつ積み重ねることで「自己愛=自己承認」が育っていきます。
フロムの言葉を借りると
「自己愛は、自分を母のように受け入れ、父のように導くこと」
母のように「ありのままを受け入れ」、父のように「成長を期待して背中を押す」。
両方のバランスが自己愛の土台になる。
私は、私の母にはなれるのだろうか。でも私が、私の母になれないなら、私は誰の母にもなれないのかもしれない。まずは、私の母になるところから始めてみよう。
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