自分で人生の最終日を決める妄想

朝目覚めた瞬間

ああ、今日は消えたい日だ。

消えてしまいたい。

と思った。

「抗うつ薬を飲んで3ヶ月経っていても、こんな気持ちが落ち込むこともあるのね。」

と、自分の感情を客観的にみれるようになっただけ成長か。

とはいえ気力も湧かないし、全部終わりにしたい気持ちで

頭も心も体もいっぱいになっていた。

そんな時、私をよく観察している相棒が1人(一匹)。

大事なガムを私に差し出してくれた。

多分、「これでも噛んで、元気出せよ!」って言ってる。

単純明快で可愛くて世界一愛おしい存在。

彼女にとっての幸せは、「大好きな人と過ごすこと、遊ぶこと、美味しいものを食べること、寝ること」だ。私たち人間も同じはずなんだけどな。おかしいな。

「愛してる。お前のことは、私が一生守るからな。(消えてしまいたいけど)」と声をかけ、

ハグ&ワシャワシャすると、満足げに尻尾を振る相棒。

この子には私しかいない。この子がのびのびと幸せに生きられるよう、この子の人生(犬生)を

守りたいという気持ちはある。でも今日は自分のことで精一杯。消えてしまいたい。

子供を残して死んでしまう産後うつのお母さんは、こんな感情に近いのかな。なんて考えながら

仕事に向かった。

そして仕事に向かう車中で思った。

あと一年にしようかな、人生。

そう決めたら、私は今の仕事もやめるのだろうか。

そして何をするだろう。

今後の人生への不安を少しでも和らげるためにしていた貯金は

パーっと使い果たしたい。そして何かに挑戦して人生終えたいな。

例えばフィンランドにあるような、犬を連れてゆっくり読書できるようなカフェを開くとか

クオッカワラビーに会うとか

野生動物たちに会うとか

小山田さんの歌を聞くとか

満点の星空を見るとか

全部やりたいことやり切って、この世とさよならしたい。

職場の駐車場に到着したところで「完全自殺マニュアル」を購入し、

車を降りて職場に向かった。

仕事が始まってからは、優しくて素晴らしい職場の人たちとくだらないことで笑い合い、じわーっと心が解れていった。

ああ、この人たちが好きだ。

そして、気付いたら1日が終わった。

元気になったというわけではないけど

朝ほど「消えたい」という気持ちは強くない。

「完全自殺マニュアル」の話に戻ると、

この本のことは以前から知っていたし

読んでみたいとは思っていた。

ただ、題名が題名なだけに、本当に消えてしまいたい時には「これを買ったら実行してしまうかも」と思い、もう1人の私が自制した。元気な時はこの本を思い出しもしなかった。

そんなわけでこれまで読む機会の無かった本だが、

今(夫の不倫発覚後)私は「なんでもやってみよう」モードなのと、

病んでるけど客観的に自分を見れる冷静な自分だったので買った。

ただ豆知識として自分の中に取り込んで、

人生の選択肢を増やして、

本当に本当に無理になったら、楽にこの世からさよならできるように。

できるだけ具体的に手順まで、想像できるようにしたいと思った。

学ぶことができるのが人間の特権だから、特権は活用しないと。

朝ほど病んでいないので、夢中になって読み込めるかは分からないけど、

定期的にやって来る病み期に備えて、本棚にしまっておこう。

そういえば日中ふと、

「自死したら成仏できない。地獄に落ちる。」は嘘じゃないかって考えが浮かんだ。

だって、車に轢かれる事故なら成仏できて、飛び込んで轢かれたら地獄に行くの?

「犬が突然飛び降りてしまう橋」を最近何かの記事でみたけど、もしそこから犬が飛び降りて死んだら、地獄に行くってこと?

間違えて道路に飛び出して轢かれた猫も自死になって、地獄行きなの?

そんなの、誰がどこで区別するんだ?

誰かを故意に傷つけたわけでもないのに、

何故地獄に行かなくてはいけないんだ?

周りの人を悲しませるから?だとしたら、病死だって周りを悲しませることになる。

「自死したら成仏できない。地獄に落ちる。」はおかしな思想だなと思った。

死後は何もないと、私は信じたい。死んでしまえば何も無くなると信じたい。

でも、死んだら亡くなった愛犬には会いたい。天国で再会したい。

会いたかったよって言ってお花畑でハグしたい。って、思っていることもあったし、会えるなら会いたい。

私ってつくづく都合がいい考え方をする存在だ。

スマホで「木登りしていた10歳男児がサルに首引っかかれる」というニュースを見て吹き出せる私は、

まだもう少し生きられるだろうか。

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